公開日 2023年09月04日
更新日 2023年10月18日
最近、テレビドラマでも大人気の徳川家康。家康にゆかりのある地域の多くで、この機会に家康との関わりをアピールしています。
実は、交野市も家康人生最大の危機と、人生最後の合戦に深く関わっているのです。
家康に熱い視線が集まる今こそ、交野市では「家康公大坂夏の陣記念プロジェクト2023」を展開し、家康と交野のつながりをPRしています。
まずは、交野との関わりを深く知っていただき、ぜひイベントにご参加ください。
和暦 | 西暦 | できごと | 年齢 |
---|---|---|---|
天文11 | 1542 | 12月26日、山河(愛知県)の岡崎城主の子として生まれる。 | 0 |
天文18 | 1549 | 父が暗殺され、今川義元の人質となる。 | 8 |
永禄3 | 1560 | 桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち取ったことにより、人質生活が終了。岡崎城へ帰る。 | 19 |
永禄5 | 1561 | 織田信長と同盟を結ぶ。 | 20 |
永禄9 | 1566 | 東山河・奥山河を平定し、山河を統一。 | 25 |
元亀元 | 1570 | 本城を岡崎城から近松城へ移す。姉川の戦いで織田・徳川連合軍が浅井・朝倉軍を破る。 | 29 |
天正3 | 1575 | 長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田勝頼軍を破る。 | 34 |
天正10 | 1582 | 本能寺の変で織田信長死去 神君伊賀越え |
41 |
天正10年(1582)の6月2日に起きた「本能寺の変」。日本史でも1・2を争うこの有名なエピソードは、羽柴秀吉が行っていた戦を切り上げ、すぐに光秀を討伐したという話で締めくくられることが多くあります。その裏で、徳川家康が人生最大の危機を迎えていたことは、知らない人も多いのではないでしょうか。この家康最大の危機「神君伊賀越え」と、交野は関わりがあるのです。
本能寺の変により、明智光秀は織田信長の家臣や同盟者との全面戦争に入ります。信長の同盟者である家康は、本能寺の変当日、大坂の堺に少数の側近しか連れずに滞在していたため、光秀の軍に見つかれば、間違いなく命を狙われることになります。光秀軍がどこにいるかもわからない上に、当時は山中を逃げると落ち武者狩りに遭う危険性が伴います。あまりの危機に家康は一時死も覚悟しましたが、家臣に説得され家康は逃走の道を選びます。これが後に「神君伊賀越え」と呼ばれるものです。
伊賀越えと交野
逃走1日目、家康は平野から阿倍野を通り、飯盛山(大東市~四條畷市)を超えて交野の星田にたどり着きます。家康一行はそこでとある藪に身を潜め、星田の庄屋(村長)の平井清貞に助けを求めました。助けを求められた平井家は、急いで大量の握り飯を家康一行へ差し入れました。さらに、村内から信頼できる「沙弥安(しゃみやす)」と、見識が高いことから「けんしき」と呼ばれたという村人2名を案内人として派遣し、家康一行を飯岡(京田辺市)まで無事に送り届けたと伝わっています。
この伝承は、当時の古文書にはみられず、伝承が生まれた時期など詳細は不明ですが、大阪で伊賀越え伝承が残ること自体とても珍しく、家康を助けたという星田の人々の強い自負があったことは間違いないでしょう。 これらの伝承は、星田の郷土史家の故・西井長和さんが『徳川家康伊賀逃走記』という著書で紹介しています。なぜ家康が平井家を頼ったのかは伝承の中でも説明されていませんが、平井家は家康が治めている三河出身の一族ですので、そのつながりで家康と知り合いであったのではないかともいわれます。
星田から飯岡までのルートは伝承でも明記されていませんが、西井長和さんは明治時代の測量図をもとに推定したものでは、星田山中から馬が峯(ほしだ園地付近)で天野川を横断し、そこから挟戸(くろんど園地付近)まで進んでから交野山地を北上して飯岡へ至ったとみています。
- 家康ひそみの藪
家康が平井家に助けを求めたとき一行の身を隠した竹藪は、「伝・家康ひそみの藪」として現在まで伝えられています。周辺は既に開発が進み、妙見坂小学校敷地にかろうじて竹藪の姿をとどめるのみになっていますが、交野古文化同好会によって石碑や看板が設置されるなど保存の取組みもされています。
家康の帰還
交野を抜けた家康は、飯岡から南山城を抜け、伊賀で忍びの助けを得ます。その後、伊勢から船で無事に三河の浜松城へ帰還しました。結果として家康は無事でしたが、この逃亡の間に、病で一行から遅れた家臣が、何者かに襲撃され命を落としていることからも、伊賀越えは紙一重で成功したことが伺えます。
・逃走1日目の行程(十三里、約52km)
堺→平野→阿部(阿倍野)→東高野街道→山根街道→星田→ホタニ(枚方市穂谷)→尊念寺(同尊延寺)→草地(京田辺市草内)→宇治田原
・逃走2日目の行程
小川村→(近江)向山→(伊賀)丸柱村→(伊賀)石川→(伊賀)河合→(伊賀)柘植→(伊勢)鹿伏兎(加太)→(伊勢)関ノ地蔵→(伊勢)亀山→(伊勢)庄野→(伊勢)石薬師→(伊勢)四日市→那古(長太)→船に乗る→(三河)大浜へ到着
伊賀越えの同行者
家康従者:酒井忠次・石川数正・本多忠勝・榊原康政・井伊直政・本多正盛・石川康通・服部正盛(半蔵)ほか30数名と伝わる。
和暦 | 西暦 | できごと | 年齢 |
---|---|---|---|
天正13 | 1585 | 豊臣秀吉が関白太政大臣となる。 | 44 |
天正18 | 1590 | 本城を浜松城から江戸城へ移す。 | 49 |
慶長3 | 1598 | 豊臣秀吉死去。 | 57 |
慶長5 | 1600 | 関ヶ原の戦いで東軍を率い、石田三成率いる西軍を破る。 | 59 |
慶長8 | 1603 | 征夷大将軍となり江戸幕府を開く。 | 62 |
慶長10 | 1605 | 徳川秀忠に征夷大将軍を譲る。 | 64 |
慶長19 | 1614 | 鐘に刻まれた文字をきっかけに豊臣氏と対立(方広寺鐘銘事件) 大坂冬の陣で徳川軍が豊臣の大坂城を包囲して攻め豊臣氏と和睦。 |
73 |
慶長20 | 1615 | 大坂夏の陣 | 74 |
元和2 | 1616 | 徳川家康死去。 | 75 |
慶長15年(1615)「大坂夏の陣」と呼ばれる徳川家康と豊臣氏の最終決戦は、わずか3日で大坂城を攻め落として決着します。豊臣秀頼は母親淀君とともに自害し、豊臣家は滅亡。家康は名実ともに天下人となりました。 この「大坂夏の陣」、一般的には京都の二条城が出陣地とされていますが、交野市では交野の星田こそが最終出陣地であると考えています。
星田からの最終出陣
徳川家康は5月5日に二条城を出発し、東高野街道を通って、星田に到着します。星田では、「神君伊賀越え」の際にも家康の手助けをした庄屋(村長)の平井清貞が、豪華な料理を用意して家康をもてなしました。 平井家で充分に休み、鋭気を養った家康は翌日星田から出陣し、最後の決戦に臨みました。各地で両軍が衝突する中、家康は現在の東大阪市枚岡に一泊して戦いを進め、7日に大坂城を攻め落とし勝利しました。
- 星田宿陣の立役者「市橋長勝」
家康がなぜ星田に立ち寄り宿陣したのかというと、当時の星田を治めていた市橋長勝という武将の活躍があります。家康との最終決戦が近づく中、長勝は豊臣家が家康に行軍中に満足な宿を取れないよう、付近の村を焼き払うのではないかと予想し、進路にあたる星田の守りを固めました。長勝の予想は的中し、近隣の村は焼き払われる中、星田はそれを免れたため、家康はゆっくりと星田で休養することができたのです。
旗掛け松平井家のすぐ近くにある新宮山(現在の星田公園)に家康は陣を置き、軍旗を山頂の松に立てかけて最終決戦に臨む兵士たちを鼓舞しました。この軍旗を立てかけた松は「旗掛け松」と呼ばれ、今も星田に伝わっています。 元の松は寿命で枯れてしまいましたが、今は3代目の松が育っています。
- 神祖営趾之碑
大坂夏の陣から184年後の寛政11年(1799)、家康宿陣の立役者である市橋長勝の子孫、市橋長昭が星田を訪れました。ところが、家康が宿泊した建物はなくなり、荒れ果てた「御殿跡」として伝わっているのみでした。
これを嘆いた長昭は、市橋家と平井家の活躍を後世に伝えるため「神祖営趾之碑」という石碑を建てました。この石碑は長い年月を超えて現在も星田に残っています。 家康の功績を称える石碑は、江戸時代の間に全国の多く建てられましたが、明治維新の際に江戸幕府と敵対した政府軍によってそのほとんどが取り壊されました。交野の石碑は平井家がこれを隠して守ったため現在も残る非常に貴重なものです。この石碑作成に関わった大久保忠真は後に小田原征伐における家康の陣地跡に類似する石碑を建立しており、現在は小田原市指定重要文化財となっています。現存する江戸時代の家康顕彰碑で指定等文化財になっているものは、全国にこの2例だけです。
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家康に関係する、いろいろなイベントを開催しています。ぜひご参加ください。
イベント名 | 日時・場所 | リンク |
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プロジェクト旗揚げ式 |
4/16(日)10:30〜12:00 星田公園(新宮山) |
終了しました。 イベントの様子 |
講座 大阪夏の陣と徳川 |
6/9(金)14:00〜15:30 星田会館 |
終了しました。 |
特別展「戦乱の世に終わりを告げる大坂夏の陣」 |
6/21日(水)〜R6.1/14(日) 交野市立教育文化会館 |
詳細ページ |
講座 古文書からみる大坂夏の陣と星田 |
9月16日(土)14:00〜15:30 星田会館 |
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市民文化財講座『大坂夏の陣』 |
11月3日(金・祝)13:00〜 交野市役所別館3階 |
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現地見学会 | 11月26日(日)14:00〜15:30 |